まだ?もう?10年目を迎えて思うこと
私がベリーダンスと出会った中で一番の大きな気づきは、芸術(アート)は誰もが追求し表現するものだということだと思う。
それまで芸術というのはごく一部の人に限られた、崇高なもので自分とは無縁だと思っていた。
けれど24歳の頃に死と直面し、自分は24年間生きてきて何もしていないと思ったし、まだ死ねないと焦った。
自らの死と向き合い、人生というものに初めて深く向き合った。
生きるとは何か自分の中での一番の答えは、表現というものに行き着いた。
そのうちに出会えたのがベリーダンス、初めてのハフラで衝撃を受けた。
みんな自分で振付や衣装を考えているということ。
それまでのダンスではインストラクターレベルでないとソロはおろか、振付を考えて踊るなんてありえないと思っていたから。
私は何を踊ったかというと、レッスンで教わったところまでの簡単な振付を踊るだけだった。
正直、適当に考えてた。
振付は初心者向けの簡単なものだったし、昔はもっと大きなステージだって踊っていたから、どこかそんな自負もあった。
ところが・・・この場に立った瞬間、頭は真っ白、緊張して震える手。
自分の情けなさに落ち込んだ。
それに比べて先輩たちは、自分の作った振付で自分の踊りを堂々と楽しそうに踊っているではないか・・。
この時の屈辱が私の魂に火をつけた。
と同時に終わりのない旅へと向かう1歩でもあったと思う。
この日から、月に2回のレッスンを週1回のレッスンに変えた。
半年後のハフラに向かって準備も始めた。
確かまだiTunesはなかったから、ベリーダンスのCDもインターネットで取り寄せ音楽もたくさん聞くようになった。
Youtubeで参考になりそうな振付を探したり、マネして踊ってみて、自分なりに努力して迎えた2回目のハフラ。
当時の家計で衣装代を捻出するのはほんとに大変だったけれど、自分の納得するものを購入した。
え~、はじめたばっかりなのにこんなに踊れるようになったの??と言われて、とても嬉しかった。
でも当時の踊りを見た先生は、あなたの踊りはスポーツだと言った。
そう、テクニックを身に付けたいことに必死だった。
これは、夢中になったことがある人に陥りやすいことだと思うのですが、技術を身に付けることが目的になってしまい目的を見失ってる状態。
自分のやりたい表現があるから技術を身につけるのであって、逆ではない。
私は元々音楽好きで、クラブ音楽からのめり込んだタイプでルーツを探っていくと民族音楽に辿り着いたこともあり、ベリーダンスにも色んな音楽で踊る人がいると知ったのもこの頃。
そんな中衝撃的だったのが、トライバルベリーダンス。
独特な音楽、蛇のような動き、体の各部が驚くほど奇妙に動くアイソレーションのテクニック。
というわけでこれが最初におどったトライバル。恥ずかしいけど・・
この頃、好きな音楽やダンスで気が合った子と一緒に活動をはじめた。
彼女はすでに5年以上ベリーダンスをやっていて、クラブやイベントでたくさん踊っていた。
色んな素敵なダンサーさんのショーにも一緒に観に行ったり、衣装も考えて作るようになったり。
彼女との出会いがまた、ベリーダンスにのめり込むことになった。
若い・・でもこの時すでに30代でしたが・・。
左上の子は数年後、トルコ民族舞踊で再会を果たしたチサトちゃん。勝手に上げてごめんww
初めてのステージデビュー。
この日のために1年間、向き合い続けてきた曲はYa Msafar、旅人という意味のタイトル。
この曲が、私を本当の意味でのアートへ向き合わせてくれたきっかけとなった。
この道をもっともっと進んでおられる方からすると、10年なんてまだまだひよっこ、ようやく入口に立てたくらいなのですが。
ベリーダンスというアートを周りの人達にたくさん伝えたくて、これからも踊ることや教えることで誰かの心に何か大切なものを残したい。
自分に向けてのメッセージの意味も込めて書いておこう。
生きていくための仕事も大事だけれど、本当にそれが1番なのか考えてみて欲しい。
生活のために仕事は必要だけれども、生きるためにアートは必要。
それは崇高な芸術家が生み出したアートを享受するだけではなく、自分自身がアートを生み出すことでしか本当の価値は得られない。
アートとは本気の遊び、人間はどんな環境においても遊びが必要。
真剣にアートに取り組み、技術を身に付けることは、永遠に終わらない旅へとでかけるのと同じ。
でも、いつか来る人生の終わりが来る頃、アートを持っている人とそうでない人では人生の深みが全く違う。
あの日死を目の前にして、なにもやってないと焦った私はもういない。
私は今いつ人生の幕が下りても、後悔はない。
やりたいことは山ほどあるけれども、今までやってきたことの達成感もあるから私の人生は満足。