「セクシー田中さん」芦原妃名子さんへ追悼の意を表して
数日経ちましたがましたが、未だに何が起きたのか複雑な気持ちでいっぱいです。
自分の作品を大切に守りつつも、誰かを傷つけたり戦うことは避けたかったのかな、最後のごめんなさいには、たくさんの意味が込められていたような気がして、涙が溢れてきます。
SNSやネットで触れることはやめようと思いましたが、一介のベリーダンサーとして、このドラマを応援する気持ちで協力していましたので、私なりの追悼の気持ちを残しておきたいと思います。
同じような気持ちで、ドラマを見ていた生徒さん達も、ショックだったと思います。
ベリーダンスは、衣装や見た目の特性上、誤解を受けたり、好奇の対象に見られたり、本場中東では娼婦の扱いだったりするのも事実です。
ですが私達ベリーダンサーは、この踊りを芸術だと思っていますし、どうしたら素晴らしさを伝えることができるか、いつも考えていて葛藤を抱えています。
セクシーやエロスというものを内包している踊りであるのも事実です。
それを全部否定して、ベリーダンスは成り立つものではありません。
セクシーという言葉についても、もう一度考えてみるきっかけにもなりました。
一昔前なら、セクシーと言う言葉は、男性の目を楽しませるため、媚びるため、のイメージが強かったと思います。
私自身はセクシーより、センシュアルと表現することが多いですが、セクシー田中さんは、セクシーという言葉をよりセンシュアルに近い表現に変えてくれたと思います。
人間的な魅力、生命力、自分自身を解放することで輝く、ベリーダンスはまさにそういう踊りであるし、本質的な部分をきちんと伝えてくれた漫画だと思います。
そして作者さん自身も、生きづらさを感じ、ベリーダンスを踊る事で救われてきたのだと思います。
心の底からベリーダンスを愛する人だと、すぐにわかりますし、私達ダンサーは直感的に繋がります。
つい最近またご本人がベリーダンスを再会されたと聞き、尚更哀しい気持ちになります。
セクシー田中さんを通して、ベリーダンスの素晴らしさが伝わったことへの感謝の気持ちを胸に、一ベリーダンサーとして恥じないパフォーマンスをしようと、強く思っています。
動揺していて、また漫画を読んだりして、今日はショーだというのに、まだ音源すら準備できていませんが、、
今の私のまま踊ろうと思います。
素敵な作品をありがとうございます。
これからもベリーダンサーとして、ずっと今の思いを胸に踊り続けていこうと思います。